AKB48
大家 志津香(おおや しづか、1991年12月28日 - )は、日本のアイドルであり、女性アイドルグループAKB48のチームAのメンバーである。

福岡県糟屋郡出身。ワタナベエンターテインメント傘下のビスケットエンターティメント所属。

来歴

2007年5月27日、『AKB48 第一回研究生(4期生)オーディション』に合格。
2009年8月23日夜に開催された全国ツアー『読売新聞創刊135周年記念コンサート AKB104選抜メンバー組閣祭り』の日本武道館公演において、同年10月よりチームAメンバーに昇格することが発表され、2010年7月27日にチームAメンバーへ正式に昇格した。卒業・移籍・辞退者を除く4期生および2008年にAKB48劇場公演デビューを果たした研究生として最後の昇格者であり、4期生ではひまわり組公演に出演していなかった唯一の昇格者となった。また、劇場デビューから872日(約2年半)かけての昇格は石田晴香の804日(約2年2か月)を更新し、2011年3月時点ではAKB48史上最遅記録。
2010年5月4日、AKSからビスケットエンターティメントに移籍。

人物

福岡県立水産高等学校に通学し、ダイビング部に所属していた[1]。
現役の調理師専門学生[2]。
6年間エレクトーンをやっていた[3]。
一点倒立ができる[4][5]。『AKBINGO!』では歌を歌いながら実際に10秒ほど一点倒立しているところを披露した[6]。
中学生時代、プリクラ帳で「写真集作った」ほどワッキー(ペナルティ)のファン[7]。
スクーバダイビングのアドバンスドオープンウオーターダイバー(AOW)を取得している[8]。
『AKB48ネ申テレビSeason5』の企画で、2級小型船舶操縦士免許を取得した[9]。
福岡県出身のため、番組出演した際やブログでも博多弁を使用することが多い。
実家はいけす料理店を営んでいる[10]。
ダンス、歌、MC、一発芸などを猛勉強し、自他ともに認める「アイドル性を一から作り上げてきた」努力家[5]。
エビ反りが得意で、両足で「いないいないばあ」ができる[11]。
身長の低い男性が好き[12]。
弟がいる[13]。父親は、福岡で行われた腕相撲の大会で1位になったことがあり[1]、大家自身も腕相撲を特技としている[14]。
パソコンが得意[15]。
テレビは基本的に見ない[16]。
負けず嫌いだがネガティブ[17]。
ハロー!プロジェクトのファン[18]。
バランス感覚も良く、『AKBと××!』の「AKBとSKEとNMB! バイト対決 1日でいくら稼げるか」企画では自転車での出前を小森美果や宮崎美穂が悪戦苦闘している中、難なくこなしている[19]。

AKB48関連

キャッチフレーズは「元気があればなんでもできる。いくぞ! いち、に、さん、しーちゃん! できませんは言いません。福岡県から来ました、大家志津香です」。
オーディションに応募した動機は「大好きなAKBに入って人を感動させたい」というものだが[17]、AKB48コンサートに参加した際に知り合った別のファンの女の子に「一緒にオーディション受けようよ」と誘われたのがきっかけ[1]。
のちに同一の所属事務所となるふかわりょうが好きなことから、AKB48のオーディションではNO PLANの曲を歌った。本人曰く「ふかわがおらんやったら多分AKB入っとらん」[7]。
北原里英(愛知県出身)、指原莉乃(大分県出身)、元研究生の冨田麻友(香川県出身)、現・SKE48の中西優香(愛知県出身)と共に1か月半生活していた。特に北原とは約2年間ルームメイトで、その後は隣同士で住んでいる。また、この5人は「地方組」と呼び合っている。まだ土地勘のない上京直後の時期に、道に迷ったレッスン帰りの北原と指原を迎えに行ったなど、「北原とか指原の前やったら絶対男前」[7]。
AKB48劇場支配人の戸賀崎智信からは「いい奴」「メンバーからも人気がすごくある」、指原からは「AKBみんなしーちゃんの事を必要としてると思う。多分しーちゃんの事を嫌いな人いない」、チームAのキャプテン高橋みなみからは、研究生時代年長だったためまとめ役となっていたことに対し「すごく感謝してます」、後輩の小森からは「ダンスとかMCとかしゃべり方とか全部教えてくれました」と言われるなど、各メンバーや関係者からは絶大な信頼を得ているほか、研究生時代に、自ら努力して欠員になりそうなメンバーの振りを覚え、全3チーム公演のアンダーを務めたという意味でも「すごく信頼は高いメンバー」(戸賀崎談)[17]。
2010年9月5日に開催された幕張メッセでの握手会で、1時間半の時間枠にもかかわらずファンの列が途切れた際に涙したことをきっかけに、都内各所で街頭に立ち、「ファン増員作戦」を行い、『週刊AKB』でその様子が特集された結果、2011年1月8日に開催された東京ビッグサイトでの握手会では9時間枠で列が途切れないほどのファンを集めた[15]。
デビュー前からAKB48のファンであり、推しメンは小林香菜だった。
尊敬するメンバーは高橋みなみと大島優子[20]。
親友で同い年の北原は、AKB48に入った時期としては後輩だが、大家自身が「嫌だ」と言ったため、当初から「全然敬語じゃなかった」り、同じく北原と同期で年齢的には下の宮崎を冗談交じりではあるが「天下の宮崎さん」と呼んだり、また先述の通り、後輩で年下の指原や小森らからも「しーちゃん」と呼ばれるなど、後輩に自分に対する話し方において気を遣うよう厳しい態度を取るようなことはない。一方、自身は先輩メンバーに対しては年下でも「さん」付けで呼ぶ[21]が、同期のメンバーに対しては年上でも敬称を使わない。そのため、4期生にもかかわらず、ファンから7期生と勘違いされた際の出来事について、「(同期だが年上の)佐藤亜美菜や倉持明日香を呼捨てにするのは感心しないというコメントがブログにある。ひどいよね、同期なのに」と不満を述べたことがある[7]。なお倉持のことは「きもかわいい」と思っており、「もし自分が男性だったら付き合いたいメンバーは?」という問いにも倉持の名前を挙げている。ただし結婚相手に選ぶなら倉持ではなく高橋とのこと[16]。
『週刊AKB』の抜き打ちテスト企画では、45点/300点で参加15人中ワースト3という結果であり、「実家のお店で毎週『週刊AKB』を流してる」「親に申し訳ない」というコメントを残した[22]。
QRコードを手書きして、実際読み込めるか実験して成功した[23]。